ハウステンボスの位置
2005年 02月 18日
それは、西彼町町役場出身で、元長崎オランダ村社長の神近 義邦さんです。2000年にハウステンボスが銀行の債権放棄を受けた(これも少し引っかかるのですが。。)時、第一線から引退されましたが、長崎オランダ村が、風車一つと小さなオランダの町の模型でスタートしたときから大きな夢を持って、それを実現された方です。今は一般人となっておられますので写真は載せませんが、見るからに元気そう(?)な方です。彼の”大村湾を日本の地中海にしたい”という想いがなければ、今のハウステンボスはありません。そもそも日本の西の端にこれだけの規模の施設を作る人はいないでしょう。
彼の本の中に ”最初からプロはいない”という言葉があります。この言葉は私がとても好きな言葉です。”何でもやったことがないからといって、引いていてはいけない。やる必要があるのなら、前を向いて頑張りましょう。そうするとプロの仕事になってきます。”という意味です。
本の知識しかありませんが、神近さん自身はお金をたくさん持っていたわけではなかったようです。ただ、自分の故郷である大村湾にみんなが来てくれる様な大きなリゾート施設を作りたいという想いが、周りの人たちを自然にひきつけたようです。オランダ村とハウステンボスは大村湾をはさんで反対側になります。そのような地形を逆手にとって、船で結ぶという大きな構想は彼でなければできなかったでしょう。結果的に彼の構想は(現時点では)実現していませんが、ハウステンボスは”千年の街” をうたい文句にしています。1000年後には彼の想いが実現していることを切に願います。
最初の構想では、ハウステンボスは滞在型・永住型の施設です。将来的には入園料も無料にするような形です。日帰りの(通過型の)施設は、長崎オランダ村が担うはずでした。従って、ハウステンボスに日帰りもしくは1泊2日で行っても、初めての人はそのよさがわからないのは当たり前です。”ハウステンボスはリゾートです。テーマパークではありません。” という所以です。ハウステンボスでゆっくりして、船でオランダ村に渡り、そちらで遊ぶ。というのが本来の楽しみ方なんでしょうが、オランダ村のなくなってしまった今(復活しかけていますが。。ハウステンボスと又、結んでほしいです)、そうはいきませんね。
年末の旅行記は、もう少ししてから。。