ネレイド 【旧オランダ村】
2006年 05月 14日
そして、ネレイドの次の目的地は、旧長崎オランダ村。そうです。1983年7月22日に、あの元ハウステンボス社長 神近 義邦さんが、自分の夢をかけて開いたオランダ村です。
今日のブログは少し長いです。。。。気持ちが、、、、
オランダ村ですが、もともとは、ホールンしかありませんでした。
穏やかな大村湾の入り江に面した小さな敷地に世界第2位の風車が回り、マドローダム(ミニチュアのオランダの街並み)と、出島(15分の1の模型)があるだけだ。後は、島巡りの遊覧船、これは別料金。それで入場料が600円だから、かなり高い料金である。
オープンの日、子供を連れた年配の奥さんが、中庭にいた私に近づいてきた。
”ここの方ですか”
”はい!?”
”あのー、オランダ村へはどっちへ行ったらいいんでしょうか?”
(ここがオランダ村なのに、この人ひどいことをいうな)
”そこの風車館はご覧になりましたか”
”ええ”
”下のマドローダムは?”
”見ました”
全部見てるわけだから、私としてもそれ以上言いようがない。この人、私が社長だと知っていて、わざと皮肉を言っているのかと勘繰ったが、そうでもないらしい。真剣な顔で返事を待っている。オランダ村というから、どこかに村があると思っているのだ。遊覧船に乗るために行列が出来ていたが、多分、その船に乗ってオランダ村へ行くのだろうと思っているらしい。遊覧船は島を巡って戻ってくる。
と、”ハウステンボスの挑戦”<神近 義邦 著>に書かれているように、オランダ村は、当初、国道沿いに作られた、ドライブインに毛の生えたような施設だった。
それでも、神近氏は、村と言い切り、大きな夢を抱いてこの村を育てた。。。。
それなのに。。。2001年10月21日を持って閉園となってしまいました。。。('_')
すべてを本物で造り上げるという、神近氏の構想は、素晴らしいホスピタリティとは裏腹に経費がかかりすぎたんですね。。。ハウステンボスもそうだけど。。。
以前、ハウステンボスと長崎オランダ村は連絡船で約40分で結んでいました。今回、ネレイドで、西海橋から長崎オランダ村まで約20分。
遠くにオランダ村の懐かしい姿が見えてきました。
”Holland Village”の文字がなつかしい。。
これは、ウイレムスタッドと呼ばれる、ホールンとは対岸に当たるところの船着場。
ハウステンボスとオランダ村を結ぶ船はこの桟橋についていました。
そして、右手前には、軽食を売っていたテントが見えます。その奥に風車のような建物でその先にゴンドラの付いた観覧車。
これは、”モーレンモーレン”と呼ばれていた施設。
もちろん観覧車なんですが、クルーズを一緒にされた方の話では、
人がたくさん来ると待ち時間がたちまち長くなってしまった。。
とのことでした。
そうだろうな。。。ゴンドラが4つしか付いていないものね。高さは25mということですから可愛らしい観覧車。
私もオランダ村は何度か行きましたが、この風車には乗りませんでした。キンダーパークと呼ばれていたエリアで、手回しオルガンを聞いたり、いろんなショーを見たり。。
子供が小さかったのでスポンジボールや滑り台で遊んだり。。
本当に懐かしい思い出です。
この、エリアは、ハウステンボスの持ち物ではなくて借地だったとのこと。このため、オランダ村が倒産した時に権利関係がかなりややこしかったと聞いています。
で、こちらがホールン。
でも、本来ならここにあるはずの船がありません。(T_T)
プリンスウイレムです。
再び、”ハウステンボスの挑戦”から
昭和60年6月22日、アムステルダムで行われたプリンス・ウイレムの命名式は日本からマスコミ関係者を含む100人以上が出席し、オランダ側を合わせると300人以上の盛大なものとなった。エーケレン大臣夫妻、松田会長夫妻が協力してシャンパンを割り、正式にプリンスウイレムと命名した。
松田会長の紋付袴姿は話題を呼び、マックムの人々は17世紀の衣装を着て、民族舞踏を街角や広場で披露し、一日中祝ってくれた。
前にも述べたように、この日まで日本国内でオランダ村が話題を提供し、記事として取り上げられることはほとんどなかった。だが、この日を境に大きく変わった。その後、オランダ村はことあるごとにマスコミに登場し、日本の西の果てに今までにない新しいコンセプトを掲げる村があることを人々に印象付けた。
プリンスウイレムはドック型沈下式輸送船に載せ、佐世保港まで運んだ。西海橋の下は海面まで37メートル、プリンスウイレムのメインマストの高さは58メートルである。このため佐世保港で船から降ろし、マスト上部を取り外し、タグボートによって大村湾へ引き入れた。
東彼杵の港で日蘭スタッフが共同でマスト、リギング類を取り付け、組み立てた。
昭和60年8月27日午後3時、プリンスウイレムはオランダ村に着岸し、この日からオランダ村のシンボルとなった。
今でも、風の強いときなどは、デ・ハール等は、この入り江にやってきて、風を避けているそうです。。
権利関係はどうなっているのかな。。とふと思ったのですが。。
後ろ髪を惹かれる思いで次の目的へ。。。
次は。。。